2000/10/15〜10/21 09/04-15 09/16-23 09/24-30 10/1-7 10/8-14
10月15日(日)  2日連続で、外出したせいか、朝起きられない。立ち眩みと頭痛がひどい。  今日は、小金井市の市民祭りで、清漁さんと天神さんが、 木遣り太鼓を叩くという。それなのに、なぜ、行きたいと思わないのだろう。 何かやろうという気が、全く起きない。  今日も、鉛色の曇り空・・・。のように見えるけれど、 東京では、これも晴れなのか・・・。 それとも、2つの川に挟まれた、この辺りだけ、雲が多いのか。  ベランダの掃き出し窓から空を眺めていると、 1日はあっという間に過ぎてしまう。 毎日が、私にとっては、全く無意味な日々なのだから、 こんな時間が早く過ぎると思うのは、幸せかもしれない。  毎日、何もしないで、ビデオの早送りのように、時間だけが 過ぎていくのであれば、それが一番楽。 疲れも、不安も、悲しみも、苦しみも、自分の気持ちに正直に過ごせるのだから。 避難民でない人達の前に出るからには、無理して笑わなければならない。 東京の装いをし、東京の言葉で、東京のやり方で、振る舞うのは、 限界がある。東京で、ちゃんと自分の生活をプログラムして、 自分の思いにそって毎日を送っている人と、同じペースで、同じレベルで、 過ごすのは、とても辛い。とても苦しい。 無理をしなければ、笑顔になんか、なれないよ。  私には、島で、プログラムした自分の人生と、生活があった。 それを、無くしたことを、認めなければならないことは、良くわかっている。 だけど、もう少し、時間が欲しい。 あきらめきれないまま、区切りがつけられないまま、東京風の生活を そつなくこなすことなんか、できやしない。 心がすり切れてしまう。  夕方、暗くなってから、小金井市民祭りに行っていた人達が帰ってきた。 秋川高校に太鼓を置いてからだったので、遅くなったらしい。 私は、この太鼓の叩き手も、また、心に得体の知れない重い物を抱えながら、 今日を迎えたことを知っている。叩き終えた今、どんな気持ちなのか。 聞けば、「叩いて良かった」という返事が返ってくるのだろう。 でも、100%そうでないのなら、そんな優等生な答えは、聞きたくない。  その後、近所の山田うどんに、夕食をみんなでとりに行った。 島でだったら、自分で簡単に作ることができる物も、東京では、そうはいかない。 今、自分の家でできない、揚げ物のメニューを注文しようと、つい思ってしまう。 別に、揚げ物が食べたいわけではないのに。
10月16日(月)  今週から、私は、一応、仕事をはじめることになった、らしい。  もちろん、「やってみる?」と打診されたときは、 私自身が、「やる。」と、言ったのである。 「やりたい。」と言ったと思う。 それなのに、らしい、というのは、自分が、どのような仕事をするのか、 全くわからないことと、それが、ボランティアなのかオブザーバーなのか、 身分もよく、わからないから。  というより、全部わからない、といった方が正解かも。 無責任きわまりない。が、私程度の人間でも、できることなのだろう。 南大沢でやったことと、関係があるらしい。  よくわからないけれど、今週になったら、飯田橋のどこかの誰かに挨拶に 行くことになっている。「月曜日に。」と言われたような気がしたので、 電話をしたら、水曜日に来るように、とのこと。  寿命が、今日と明日、2日、延びた。こんな事で、とても幸せに浸れる。  11時頃、同じ団地の人から、「部屋においで〜。」とのお呼びがかかった。 行ってみると、他の三宅の人も集まってきた。といっても私を入れて3人だけど。  部屋に通された。同じ団地で、同じ避難民でも、家族の人数によって、 部屋の大きさは違う。それは当然だけど、キッチンの位置とか、使い勝手も ずいぶん違うような気がした。 窓から見える景色も、階によってずいぶん違うものだ。  一番奥の部屋に入ったら、部屋にいっぱいの洋服があった。 なんでも、東京に住んでいる知り合いが集めてくれたものだという。 どうやら、提供者の中に、若いお嬢さんがいるようで、 かなり、東京風、今風の服が入っている。  「サイズのこともあるから、使い切れないから、みんなで分けようと思って。」 といって、呼んでくれたのだ。みんなで集まると、すごくホッとする。 少しの間忘れていた、安堵感。肩の力が、抜ける。 顔に無理な力を入れずに、自然に笑うことができる・・・。  「やっぱり、年内は無理だよね。」 「やっぱり、いじけていても仕方ないから、良い方に考えなくちゃ。」 どうしても、話題は避難生活のことになる。 いろんな話がでたけれど、私は途中から、何も言えなかった。 なんだか訳もなく泣きたくなるのを、我慢していたから。  何となく、一瞬沈黙して、話題の変わり目になった。 目の前にあるのが洋服なので、どうしても、サイズの話。 いつもそうだが、サイズが小さすぎて、誰にも着られない洋服がたくさんでる。 「どうして東京の人って、こんなに細いんだろう?」 「このスカートって、いったいどういう人がはいているんだろう。」 「みんな、変に細いよね。」 「あれで病気とかじゃないんだから・・・。」 「私達、避難民って、みんな体格良いんだよね。」 「・・・・」  そう。どうして、1日1食とか、ある物しか食べないようにしているのに、 贅沢しないで1ヶ月以上たつのに、痩せないんだろう? みんな、なるべく食べないようにしているのに、痩せないって言う。 私など、結構ひもじい思いをしているのにな。 1ヶ月ぐらい、全く食べないでいたら、東京の人並みの体格になるのだろうか?  結局、居心地がよくて、昼過ぎまで居座ってしまった。 Kさんごめんなさい。でもね、心の底から目の前にいる人に心を許して、 そのままの自分で話ができるの、すごく久しぶりで・・・。  部屋に帰ってから気がついた。 私、今のお出かけは、全然外に出るのをイヤだと思わなかった。 外に出ることを、まったく意識しなかった。 なんで呼ばれたのかわからなかったのに。 自分が部屋に入って、玄関を閉めた時に気がついた。  部屋で、1人ファッションショー。 ああ、こんな事なら、イトーヨーカドーで、買い物しなければよかった。 ずっと素敵なスカートとか、かわいいセーターとか、いっぱいある。 元々、私は、洋服選びのセンスが、全くない。 洋服選びは、ほとんど材質と値段で決めてしまう。 だから、誰か他の人が良いと思った物の方が、 同じスカートでも、良い場合が多い。  だけど。きれいなえんじの別珍のようなワンピース。 ちょっとよそ行きで、パーティー向けのようなデザイン。 着る機会はないかもしれない、と思ったけれど、あんまり素敵で、 もらってきた物が。  はいらない・・・。どうしても背中のボタンが留まらない。  やっぱ、絶食しなきゃダメだ、こりゃ。 避難民が太っていて、服が着られないなんて。  午後、買い物に行って、この先のために、少しおかずを 作り貯めようと思ったけれど、すっかり意気消沈。 そういえば、夫も決して痩せてはいない・・・。
10月17日(火)  この先、どうなるのかわからないが、とにかく、明日からは、仕事にでる。 避難民がやる仕事なので、そんなに、きついものではないと思うが、 どう考えても、この部屋には、いられない。外に出なくてはならない。 疲れていようが、眠かろうが、他人の都合に合わせて生活しなければならない。  そう考えるから、今日が、私の最後の日。  朝、夫は、あるFM局の番組の、電話で生出演した。 私は、うつらうつらしながら、声は聞いていたが、起きることができなかった。  朝方、こんなに調子が悪い日が続くことは、今までなかった。 年齢的なものが、勿論あるのだろうが、あまりにも、長く続きすぎている。  でも、わがままも今日が最後。 明日の朝の辛さを考えると、布団の中にいるときから気が重い。  こんな状態ならば、人と約束など、絶対にしてはいけないのに。 それなのに、予定を入れてしまうのは、どうしてなのか。 自分自身が本当はどうしたいのか、何を求めているのか、 そんなことが、どうして、わからないのだろう?  いくら眠っても、怠さが取れることはない。 すっきり、目覚める朝が1度もない。 かといって、布団に入っていれば、眠れる、というわけでもない。  この状態が、いつまでも続くとは思っていなかった。 だから、当日になってみると、泣きたくなるほど辛い約束を 入れてしまっていた。  約束をするときは、思ったから・・・。 「その日になる頃は、私もちゃんとしている。」のではないかと。  最後なので、部屋の掃除を念入りにした。 布団は残念ながら、干せそうになかった。  よろよろ自転車で、大きなスーパーまで行ってみた。  かごを持って、最初の売場、最初の冷蔵棚にスイカがあった。 丸ごとではなく、半月状に切ってあるのでもない。 2口大ほどにカットされている。 そして、それは、売り物ではなく、試食品だった。  今まで、スーパーなどで、試食をしたことは、ほとんどなかったし、 勧められても断ることが多かった。でも、今日は、違った。 誰も勧めてくれないし、ヨウジもたくさんなかったけれど、 ひとつ、食べてしまった。 予想外に甘く、予想以上にスイカの香りがした。 野菜売場の蛍光灯のハレーションが、夏の日差しのように思えた。 肌に感じる温度だけ、夏ではなかったけれど。  贅沢だとは思った。でも、カットスイカを買ってしまった。 試食品とは少し離れた高い段にあった、カットスイカをかごに入れてしまった。 身分不相応だし、なんでスイカなのか、とも思った。 もとより、私はスイカが大好きなわけではない。それでも。  スイカで贅沢をした分、他の食べ物を買わなかった。 外に出て、今にも降り出しそうな、肌寒い空気の中、自転車で帰った。  家について、スイカを冷蔵庫に入れるのはやめた。 寒いから、冷たくなりすぎない方がいいと思ったから。  薄暗くて肌寒い部屋の食卓で、ひとつだけ、スイカを食べてみた。 スイカの味はする。美味しい。でも、それだけ。何も変わらない。 後悔はしなかったけれど、なんで、買ってしまったんだろう。  夜遅く、お客様だった人が、お米を届けてくれた。 ありがたい。しばらくお米の心配をしなくてすむ。  次のお米が買えないのに、米のビニール袋の、最後の一粒を ザルに見送るのは、もう、たくさんだ。
10月18日(水)  とうとう今日から出勤。 といっても、飯田橋に10時なので、10年以上前に経験した 殺人的ラッシュの電車ではなかった。 しかし、朝、駅まで20分歩かなくてはならないのが、きつい。  電車は、何とか座れるようだ。新宿まで1時間少しかかってしまう。 この間、立っているのは辛い。 途中、混み始めると、確信犯で寄りかかってくる人間はたくさんいる。 自分の身体ぐらい、自分の足で支える気がないようなヤツは、 電車に乗らなければいいのに、と、よく思ったものだ。 勿論、体が悪い、とか、年を取って、とかの人ではないよ。  それにしても、今日は、なんだか、寒い気がする。 結構着込んできたつもりだが、電車の中が寒い。 京王線は、昔から、夏も冬も寒い。 夏は、凍えるほど冷房が入るくせに、冬は暖房が入らない。 暑ければ脱げばいいが、出先で寒いのは、命に関わるのに。  それなのに、こんなに寒い日なのに、途中で、送風とは思えない空調が入った。 異常だ。  午前中、はじめての場所に行って、はじめての人に会って、挨拶。 が、ここがどういう所なのか、何をする所なのか、一向にわからない。  午後、南大沢にいく。会合に出て、暗くなってから、唐木田の丘から、 南大沢に向けて車で滑るように降りた。 夜景がとてもきれい。きれいだけど・・・夜は、やっぱり暗い方がいい。 これじゃ、星も月も、映えないから。  こんなに冷える晩なら、星がきれいなはずなのに・・・。 たくさんの人が、暗くなってからも動かなくてはならないから、 こんなにたくさんの電気が、ついているのだろうか・・・。  暗くなったら、家から出ない。7時前の天気予報を見ながら夕飯を食べる。 夕飯の片づけをして、厨房の掃除をしたり、明日の準備をして、 その後は、テレビを見たり、メールを打ったり、自分のために時間を使う。 そんな生活が懐かしい。 夜中まで電気で照らされて、働かされたら、誰でも変になってしまうよ。

10月19日(木)  さむい朝。まだ10月なのに。この先、どうなってしまうんだろう。  最近、2日とか3日前のことが、どうしても思い出せないことがある。 元々、寒さに極端に弱く、季節の変わり目は、調子悪い方だったが、 記憶力まで悪くなることはなかった。 記憶力だけではなく、判断力や注意力も落ちているような気がする。  昨日は、朝、飯田橋に行くつもりで、信濃町で降りてしまい、改札まで でてしまった。その上、買ったばかりの文房具一式を、忘れてきてしまった。 今まで、こんな事はなかったのに・・・。 新聞屋雑誌を全く読まなくなった。テレビもほとんど見ない。 脳細胞が死にはじめたのかもしれない。  午後、南大沢に行った。 何の木だかわからないが、街路樹が、鮮やかに紅葉しはじめていた。 きれい、と思うよりは、焦りのような、イヤな気持ちが湧いた。  その後、南大沢の駅前で、偶然、三宅島警察の2人連れにあった。 警察のビデオ上映会を実施するために、団地を回っているという。 何となく一緒についていくことにした。  人を捜して、団地の上に行ったり下に行ったりして、 結局、留守だとわかったりして。 でも、ここの団地は、1棟にかなりの数の世帯がいるようで、 あるお宅では、懐かしい顔がいっぱいいたりして、うらやましかった。  それにしても、階段と坂が、かなりきつい。 運動不足を実感。息は切れるし、目の前が真っ白になる。  日暮れも早くなった。夏も秋も、関係なく過ぎてしまった。


10月20日(金)  今日は、10時から飯田橋。 この前、なんで、信濃町で降りてしまったのかは、全く謎。 それなのに、今日も、降りそうになった。何かに呼ばれているのだろうか?  飯田橋に何をしに行っているのか、というと、まだ自分でもよくわからない。 仕事にせよボランティアにせよ、全くもって私は役に立っていない。  自分が、何をしているのか、わからないのは、本当は、四六時中。 自分が何をしたいのかさえ、わからない。 買い物でも、メモを書いているのに、そのメモをよく見ずに、 買い忘れてしまう。ひどくなると店に行くこと自体を忘れてしまう。  病院に行った方がいいのだろうか・・・。 脳ドックは高いと聞く。ドックでなくても、検査代なんて、出ない。 どうしたらいいんだろう。ついうっかり、とか、そういうレベルではない・・・。  自分が変なのは、少し前から気がついていたが、こういう壊れ方は、最悪だな。

10月21日(土)  朝、なんだか外の様子が変だった。 ベランダから外を見ているのだが、真っ白で、何も見えない。 自分が寝ぼけているのかと思った。 「寝」ならいいけれど、とうとう、本当のボケか、 本当にどうかしてしまったのか・・・。 しばらく、ぼーっと、団地の中庭を見下ろしていた。 すると、ときどき、ちゃんと木や植え込みが見える。 もしかして、すごい霧なんだ。  すごい。こんなに、ちゃんとした霧は、はじめてだ。 ちゃんとした、っていうのは、変かな。 あ、深い霧っていうのかしら? ちょっと感動しながら、駅に急いだ。 でも、団地から離れたら、霧も大したことなくなってしまった。  今日は、島民連絡帳づくり。 輪転機を使う、といわれていたのだが、どんな機械かと思ったら、 まるでコピー機のようだった。インクまみれになって、 たいへんだろうと覚悟していたのに、拍子抜け。  お昼ごはんに、豪華なお弁当をいただいた。 たくさんの美味しいおかず、しばらく、夕飯でもこんな贅沢をしていないな。 おかずのひとつひとつが、とても美味しい。 でも、自分の胃袋が、だいぶ小さくなっていることを実感。 島にいた頃だったら、これと同じお弁当なら、 3つ位は軽く食べちゃったかもしれない。  おかずがたくさん入っているお弁当を食べて、長谷川店のお弁当を思い出した。 これでもか、というほどおかずが入ってボリューム満点で美味しいがために、 買えればラッキーという幻の弁当。 わざわざ、時間を見計らって、阿古まで買いに行った。  島の店のお弁当が美味しかったのは、なんでなのか。 こちらに来てから、よく思う。 東京では、お店も総菜も、本当にたくさんあるけれど、なんか違う。 それなりに知っている人が作っているという、安心感だったのか・・・。 土屋のサンドイッチに似ていると思って、コンビニでサンドイッチを買って、 食べて悲しくなることも何回もあった。のり弁といって売っている お弁当を見て、こんなの違う、と思ってしまう。  何もない不便な島、と、自他共に認めていたけれど、 星の数ほどのデパートや、スーパー、コンビニに売っていない 美味しい物があったんだな。  印刷をしながら、ぼんやりいろんな事を考えていた。 お日様が差し込んで、暖かい印刷室。時々感じるインクの匂い。 機械のペースに合わせて、一瞬も無駄にしないように段取りを運ぶのは、 結構おもしろい。  刷り上がった、ページを運び、丁合をかけホチキス止め。 東京で勤めはじめたばかりの頃、こればっかりやっていた。 もうあれから、12年も経ってしまった。  12年といえば、今私は、12年に1度の、運勢最悪の年らしい。 何をやっても全て裏目に出るとか。 自分の運勢が悪いのは仕方ないけれど、 私と関わる、周りの人達に迷惑がかかるのはイヤだなぁ。  徹夜仕事になると、意気込んでいた、電話帳づくりは、 結構早く終わってしまった。 お役ご免になってしまったので、夜の電車で帰る。 家につく頃は、それなりに夜中になっていた。はっきり息が白い。 団地の公園の角にさしかかったとき、秋の終わりの匂いがする。


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