2000/09/24〜09/30 09/04-15 09/16-23 10/1-7 10/8-14 10/15-21

 9月24日(日)

 昨日と同様、午後からパソコン設定。 といいつつ、そういうわけでもなく。
ぜんぜん関係ないことをして、遊んで過ごした。  
そもそも、パソコンが必要なのは、島魂やMLで情報を発信するためなので、
噴火という現実に向き合うために、ここに来ている。  
でも、一方で、噴火と全く関係がない土地に来て、噴火と関係ない友達と 話をすることで、
現実逃避して、少し休めるかと思っていた。
結果、どうなのかわからない。 私が、どこにいても、何をして過ごしても、現実は変わらない。  
村民が、生きようが、のたれ死のうが、自分の利益の確保しか眼中にない、 村政のトップ達。
まず、あんた達から、のたれ死んでくれ。
村民は、こんな奴らを、自分たちの代表にした非を反省すべし。
政治をちゃんと考えず、悪を、まあいいや、と、見ない振りつづけると、 いつか、三宅村みたいになっちゃうよ。


 9月25日(月)

 今日、三宅島に向かう予定だった、妹の予定が変更になった。
明日、飛行機で神津島に入り、そこから移動だそうだ。
竹芝桟橋まで見送りに行こうと思っていたので、かわりに、
妹の家に行くことにした。

 妹にカメラを渡すことになっている。島の様子が取れたらいいな、
というつもりで。でも、高濃度のガスがでているという。なおさら心配。
気持ちのどこかで、このカメラが、島に上陸することが、ない方がいい、
と思ってしまう。妹は、看護婦だから、ほぼ船内で過ごすことになると
思われるので、カメラは、上陸する誰かに、預けられることになると思うから。

 夕飯、「焼き肉に行こう!!」ということになり、焼き肉をごちそうになる。
情けない姉でごめんねぇ。とても、おいしかったです。また行きたいな。
 焼き肉屋の帰り、ゲームセンターの、UFOキャッチャーで、
妹夫婦は、ぬいぐるみや景品を取りまくていった。
すごい趣味もあるもんだと思ったが、景品の中には、腕時計など、実用的で、
ちょっとおしゃれな物もある。れんげとラーメン丼のセットもとってもらった。
東京には、変な遊びがあるんだな、と思う。

 明日、出発か・・・。「見送りに、」と言ったら、
「やめてよねー。恥ずかしい。それに、たぶん話できないよ。」という。
飛行機は調布から出発する。行ってらっしゃい。
どうか、無理をしないで、気をつけて。


 9月26日(火)

 最近、9階の高さに慣れてきた。
ベランダにでて、外を眺めることが多くなった。
この部屋の窓には、網戸がない。それでも、あまり虫が入ってこなかった。
高すぎると、虫は飛んで来られないのだろうか?

 今日、妹が飛行機で出発することで思い出した。
ここは、時々、自分が轟音で埋め尽くされるかと思うほどの、
すさまじい爆音が響く。横田基地に発着する飛行機が、低空飛行になってくる
位置にあるのだろう。だから、1部屋エアコンが着いているのかもしれない。
というのは、私の高校も、この航空路の延長線下にあったため、
都立高なのに、冷房がついていたから。

 少し前に、ネット上で、三宅村が崩壊する。無くなる。と書いていた人がいた。
最近少し、わかるような気がしてきた。
 灰やガスを出したあの島は、NLPとしても使い物にならなくなった。
もはや、なんの存在価値もなくなってしまった。
そこに、なんの利益も生み出さない村を存続させるメリットはない。
人間が住めるようにあの島を整備したりすることも、不要。
ビーコンと電話塔、それのための電線さえ整備できればいい、
ということなのだろう。
 金をせびることばかりで、善悪の判断もつかず、自分たちの政治さえできない、
そんな村は、確かになくなった方がいい。いや、噴火に関係なく、
村としての機能なんか、とうの昔になくなっていた。

 わかっていたけれど、認めたくなかった。まだ、認めたくない。


 9月27日(水)

 早朝、伊豆に向けて出発。
贔屓にしていただいていた、東京のダイビングショップさんが、
夫に単発のダイビングの仕事を回してくれた。
だが、夫は、伊豆の海でガイドをした経験がない。
潜ったことは何度かあるものの、お客さんの安全を確保し、
楽しんでもらうためには、充分な下見が必要。

 昨日の晩遅く、朝食用の弁当を、作って持っていくかどうかで喧嘩になった。
 私は、作りたくなかった。台所仕事は、思いのほか隣家に響く。
それに、残り少なくなった米を無駄にしたくなかった。
おにぎりにする量は少ない。炊いてしまったら余ってしまう。
全部持っていってしまったら、食べきれずに腐りそう。冷蔵庫には入らない。
それならば、コンビニで必要なだけ買えばよい。
ましてや、私は、今回ナビを取るだけなので、食べる必要はない。
最近はだいたい、朝食も昼食も、我慢できなくなって、
はじめて、食べるようにしているから、家にあるお菓子を少し持っていけば、
1人分は、浮くのだ。仕事をしない私が食べなければいいだけの話。
が、夫は、コンビニで買う、ということを贅沢だと感じ始めている。

 次に夫が仕事でこの道を通るときには、私は同乗しない。
お客さんが隣に乗っている。渋滞の迂回路、途中のトイレ休憩ポイントなどを
教えるが、どれほど頭に入っただろう?海が見えるまで、島でのダイビングでは、
考えられない苦労が立ちはだかっている。東京のショップはすごい。

 午前中、八幡野というポイント。駐車場の脇で網を直す漁師。
「どうだよ、メジはよ。」「いやぁ、シイラばかりだわ。」
話題と言葉が、島に近い。思わず聞き耳を立てる。

 午後、菖蒲沢というポイント。夫は、手続きを済ませ、海へ。
伊豆のダイビングポイントは、ガイドやインストラクターがつかなくても、
潜れてしまう。逆に言えば、ガイドもイントラも必要ないのだ。
お客さんに、必要性を感じてもらえなければ、商売としては成り立たない。
三宅の海で5000本近く潜っていても、伊豆の海では初心者だ。
お客さんの方が、経験本数が多い。難しい。

 夫が海にいる間、車で爆睡。何だか、このごろ、変に疲れる。
毎日働いてもいないのに。何かやらなくてはいけない、そうらしいのだが、
いくらパソコンの前に座って、文字を読んでも、実際自分が、誰に、何を
したらいいのかが、わからない。

 「何もしない、やる気がない、三宅はもう死んでいる。」
みんながそういうのはわかる。
私だって、やるべき事をやらないで、こんな事をしている、
夫にも自分にも腹を立てている。
 融資の手続きだって、どこまで終わっているのやら。
昨年8月に起こした交通事故の被害者からも、相変わらず脅迫が続いている。
義援金が配分されたと思っているのだろう。それを狙っている。
全部ほっぽりだしたままだ。自分がやらなくてはいけないことさえ、
放っておけば、誰かが尻拭いしてくれると思っている。
だらしないことに何も感じない。こんな人間に、村のことのなにが、
できるというのだ。ましてや、村の個人個人はあっても、村の機能がない。
誰に働きかけよ、というのだ。

 私は、無力でバカな一島民だ。
7月のはじめ、夏の予約が全てキャンセルになった時点で、首をつっていれば、
自営業者の手当は厚くなったのか?それで仲間を助けられたのか?
8月終わり、火砕流を浴びたとき、それで死んでいれば、行政も学者も、もっと
必死になっただろうか。一瞬でも世界的に注目されたかもしれない。
今のような、見た目だけのごまかし対処をされずに済んだだろう。
9月が終わる。病死と隠蔽されないための、死に方と、死に時を模索する。
他に何ができるというのだ。

 海から上がってきた夫は何も言わない。夜、伊東の街にでた。
夕飯を食べる店が見あたらないほど、閑散としている。
風も冷たい。
伊豆で、ダイビングで収入を得るのは、ほぼ不可能だろう。

 9月28日(木)

 昨日の夜、コンビニで買った新聞に、下田に避難している島民の記事が
載っていた。東京では、もうすでに忘れ去られた三宅の話題が、
ここでは、こんなに大きく扱われているとは。

 午前中、夫は、富戸というポイントの下見。
陸で待っている間、電話番をしつつ、方々に連絡。
なんとか、下田の避難所に行きたい。が、連絡を取るつてになる人がいない。

 とりあえず、下田の市役所に行ってしまうことにする。
ダメ元である。距離はあるが、三宅に似た景色、気候の中を走るのは、
苦痛ではない。私が運転しているんじゃないけれど。

 下田市役所では、身分証明を見せると、とても親切にしてくれた。
場所もすぐに教えてもらえ、地図までいただいた。
「役場」に親切にされることが、こんなにも嬉しく、
安心感が得られるものだとは。

 下田の避難所に着いた。学校のような建物に見える。
この建物自体の管理は、東京の北区らしい。
驚いたことに新聞社や、テレビ局の取材の人たちがいた。
 しかし、もっと驚いたのは、この建物として、電話が使えない、ということ。
全員、腰から携帯電話を下げている。「どうして?」と聞くと、
「んー。わかんないんだけど、使っちゃダメらしい。」とのこと。
なんじゃそりゃ?

 「村からの情報が全く入らないんだよ。下田の人達は、
よくしてくれるんだけど、村役場の人間が誰も来てくれない。
『おせわになってます』ぐらいの挨拶にきて欲しい。
自分たちは村から見捨てられているようで、悲しい。肩身も狭い。」
「そうか・・・。でもね、東京の方だって、村、なんにもしてないよ。
国勢調査のはがき来た?あれだけ。戸別訪問は始めているらしいんだけど。
村が、島民のために何かしているって話は、まだみたい。」
「秋川高校の話は聞く?」
「私は子供いないから、直には入ってこないけれど、交通費の問題とか、
いろいろまずいことはあるよ。」
 東京から遠く離れ、情報がなく、マイノリティーであることが、不安を、
なお煽るのだろう。

 都営住宅避難に比べると、下田の避難所は、プライバシーの問題があると思う。
が、孤独、孤立はしにくい。情報がないのは、全員に共通だ。
縁故避難、都営住宅避難、下田避難、これから、それぞれの問題点が噴出する。
人間のために、一番よいのは、どの方法なんだろう。
次の災害の時、三宅島の経験が生かされるために、何ができるのだろう。

 こちらが想像していたよりは、元気にやっていたこと、
下田市役所の対応が暖かかったことと、
まだ、マスコミが取材に来ていてくれたことを知って、少し安心して
帰途についた。



 9月29日(金)  午前中、新聞社の取材。  14時より、この団地の皆様による、冬物衣料や物品の提供の会が あるということで、会場に行く。  ここの団地は、三宅の入居は5世帯しかないままだ。 たった5世帯のために、豊富に提供された服や物。 島に帰ることしか頭になかったので、その日その日を過ごすのに、 最低限の物さえあればいいと、これまでやってきたが、ここで観念する。 色の美しいセーターや、今風のコート。 東京では、単に防寒、ではなく、おしゃれの必要性がある。 島で過ごしたように、化粧もせず、トレーナーにGパンで毎日を過ごすわけには いかないのだろう。  白くて軽いロングコートをもらった。私が東京で働いていた頃でさえ 買ったことがない、外国製の靴ももらった。コートの下に何を着るかとか、 それを来てどこに行くかは、この際考えなければ、冬が楽しみになった。 が、自分が東京仕様になることは、三宅島島民であること、避難民であることを 否定することと表裏一体だ。  18時から国分寺市で開かれる、意見交換会に出席しようと家を出た。 が、ものすごい渋滞。全く前に進まない。そっか、月末の金曜日だから? 三宅の作業のためのホテルシップに駐在していた、妹も今日帰ってくる。 会のあと、妹に会おうと考えていた。が、結局1時間も会には遅刻してしまった。 その会合で、聞く話がおもしろく、妹が家に到着しても、 その場から離れられなかった。結局、妹に、「お帰り、お疲れさま。」と 言えたのは、かなり遅くなってからになってしまった。 適当な姉でごめん。


 9月30日(土)  秋川高校に行く。 秋川高校で開催される縁日に集まる人に会って、 島民同士で使える名簿を作りたい、という目的があった。  着くなり、怪しい雲行き。ぽつりぽつり降り出した雨は、 あっという間に土砂降りに。  ずっと会えなかった懐かしい顔を、頻繁に見かける。 話も弾むが、縁日に来ている人たちは、それより、重大な目的がある。 「家族のための冬物衣料の入手」だ。ここの所、冷え込む。 昼間でも寒い。「そんなところに立っていないで、早く一緒に探そう。」 と誘われる。  そして、一巡り、縁日を楽しんだあとは、 子供と一緒に、早々に帰る人が多かった。  そうか。家族水入らずの時間が、1分1秒大切なんだ。 私は、まだ、そういう、一番大切なことがわかっていない。 「交通費が大変で、3人の子供を、週末ごとに1人づつ呼んでいる。」 「せめて交通費ぐらいは、と思い、バイトをはじめたら、週末に仕事が入り、 子供に会えなくなった。」「すでに、行き来ができない」・・・。 みんなが話してくれた、悲劇を、こんなにそばで聞いているのに? 誰か、声を上げてよ。楽しいふり、幸せなふりは、やめようよ。 誰か、泣いている家族の声を聞き取ってよ。  雨は上がったものの、身体の芯まで冷え切ってしまった。 身体以上に冷たく重くなった気持ちで、家に帰った。


先週  翌週