2000/10/01〜10/07 09/04-15 09/16-23 09/24-30 10/8-14 10/15-21
10月1日(日) 今日は、かねてから八王子市よりお知らせのあった 「三宅島災害避難者交流会」に行く。 すごいな、と思うのは、まず、このタイトルだ。 避難者が、主役である。 お客様として、何かのイベントに参加させてもらうのではなく、 避難者の交流のためのイベントなのだ。 それを、村ではなく、八王子市がやってくれる。 村の機能が破綻していることを責めることなく、本来村がやるべき事を、 たまたま、受け入れ先になった八王子市がやってくれる。 これが、どれほど、深く大きな意味を持つものか、みんな慮って欲しい。 とはいうものの、さほどの期待なく、会場に向かった。 けっこう人が来ているようだ。 体育館に入って、おののいた。 すごい人。何人いるんだ?ていうか、満員電車のよう。 誰かに呼ばれる。「ほら、早く、こっちこっち」。 でも呼んでくれている人の顔が見えない。 呼ばれて進んだ方には、山積みになった洋服がある。 みんな服を選んでいる。まるで、バーゲン会場のようだ。 服を選ぶのと、再会の喜びとおしゃべりで、猛烈に忙しい。 身体が3つ欲しい。 で、中には、似合いそうな服を見繕って、渡してくれる人もいる。 お互い島の人間同士。名前はわからなくても、顔は知っている。 子供の大きさもだいたいわかる。だから相手が必要な物を渡すことができる。 島では、そうやって、暮らしてきた。それが当たり前だった。 これほどの人混みでも、みんな島の者同士だと思うと、安心感がある。 島にいた頃、そのままにいられる。ここが島でないことを一瞬忘れられる。 必要な物を確保してしまうと、にわかファッションショーがあちこちで。 早々に逃げ出した男衆に比べ、女性達は、みんな楽しそう。 若くても、70過ぎていても、目の前にある、暖かそうで素敵な服を好きなだけ 装っていいなんて、夢のような話ではある。 食事のサービスがあるとのことで、どこぞで弁当を配っているのか?と 思ったら、ビュフェ方式だった。子供も年寄りも、満面の笑顔。 花が飾られたテーブルは満席。でも、外で食べている人たちも、同じ笑顔。 今、全世界中で、これほど幸せに満ちた食事と時間と空間を提供している レストランはない。 しばらくたって、だいぶ空いてから、私も食事をもらうことにした。 お盆にのった、揚げきなこパンを気にしながら、席に着こうとしたら、 村長が座っていた。村長に勧められるまま、同じテーブルについた。 目の前で、村長が食事をしている。理屈抜きで嬉しかった。 恐らく村長は私のことなんか知らない。どこの誰だかも忘れてしまっただろう。 だけど、私の方は、テレビでしか見ることができなかった村長が、 村でそうだったように、元気で目の前に現れてくれたことが、 ただひたすら嬉しかった。 13時近くなり、団地への送迎バスの準備が始まり、みんな帰っていく。 東京での生活を確立した者も、迷いの中の者も、まだ必死の者も、 一瞬、島での日々に戻った。私は、嬉しかった。 私は、また、島でと同じように、こんな風に会いたいと思う。 一緒にいたいと思う。でも、他のみんなはどうなんだろう。 1ヶ月後、みんな、何を思っているんだろう。 久しぶりに、本当に、久しぶりに、嬉しい気持ちと、なぜか安堵感に浸る。
10月2日(月) 昨日の反動か、今日は、何もしたくない。 ベランダの手すりに寄りかかって、団地の中庭や空を眺める。 そういえば、1度、目の前の山越に、富士山が見えたことがあったが、 そのあと、見ていない。目の間違いだったのかな。 それにしても、東京って、なんで、こんなに毎日薄曇りの日ばかり? 安心して布団が干せる日って、こんなに少なかったっけ? 掃除をしながら、「スイカ食べたい」と思った。 今年はスイカって売っていないなぁ、と最近買い物に行った先を思い出していた。 時間にして2分ほど。 スイカの季節なんか、とっくに終わってしまっていることに気がついた。 真夏直前の6月26日で、私の時間が止まってしまったらしい。 針を直しても直しても、無かった夏を、あることにすることができない。 昨日も一昨日も、季節の移り変わりは体験している。 でも、それは記憶されないらしい。 ふとした瞬間に、自分が、夏からやり直そうとしていることに気がつく。 この部屋に籠もっていれば、時が流れることを目の当たりにしなくてすむ。 三宅で過ごしていた日々の記憶に、しがみついていることができる。 時計が現実にちゃんと合っている人と、会いたくない。話したくない。 あ、こんな風に、部屋へのひきこもりが始まるんだな。 夕飯用に、半端に残った米を研ぐ。袋から、最後の一粒がざるに落ちた。 米を買い忘れたのではない。わかっていた、最後のお米。 台所から、米が無くなる瞬間が、これほど淡々としたものだとは思わなかった。 米が余り、捨てられる日本で、明日から、食べたくても、 食べるお米がない家庭は、けっこう多いのかもしれない。 だから、避難民なら、なおさら、我慢しなくてはいけない、という、 行政の判断なのだろう。まだ、乾麺があるから、大丈夫。
10月3日(火) 寒い。また雨。こうなると、なにがなんでも外にはでたくない。 人間って、いつから3食にしたんだろう。 今、私は、毎日何もしていないから、 どうしても我慢できなくなったら、食べればいい、と思い、実行していたら、 お腹がすかなくなった。それどころか、食べはじめても、 すぐにお腹がいっぱいになり、以前と同じ量はとても食べられない。 いやぁ、便利にできている。 そういえば、秋川高校で聞いた話で、年金を貰えている年寄りの話を聞いた。 よく考えてみれば、当然なのだが、年金で、なんとか食べられるそうだ。 よかった。みんな、ひもじい思いをしているのかと思うと、焦燥感ばかりに 駆られたが、少しホッとした。でも、こんな雨の日、辛いだろう。 全島避難から1ヶ月。「1ヶ月で帰れる」と、自分を支え、 避難生活を送っている人もけっこういる。ここ数日が心配だ。 部屋に引きこもるのは、楽だ。怒ったり、傷ついたりしないですむ。 もう、感情を揺らすこと自体に、疲れてしまった。何も考えたくない。 でも、布団をかぶっても眠れない。 私の場合は、それでもまだ、パソコンを閉じることはしていない。 たぶん一度、閉じてしまったら、2度と開けなくなってしまうと思うから、 それだけは、意識している。玄関から1歩も出なくてもいいけれど、 通信だけは、続ける。なんか不健康でオタクっぽいけれど、自分との約束。 夕方、島魂の仲間と待ち合わせ。部屋を出るのが、あれほど、 イヤだったはずだけど、仲間の顔を見ると、やっぱり出てきて良かったと思う。 明日、立川に来る村長に、朝1番に会うために、2人、家に泊まる。 でも、ごめん。布団がない。そういえば、米もない。きゅぅ。
10月4日(水) 朝、村長に会いに行く3人を送り出す。 10分おきぐらいに時計を見てしまう。一通り、掃除をしたり、洗濯をしたりす るが、心ここにあらず。 有珠山の噴火災害を経験した、北海道の精鋭スタッフが、三宅に力を 貸してくれるという。北海道では、村長が一言「頼む」と言うのを待って いてくれている。村が何もできないのは、村長が動けないから。 噴火災害の先輩からアドバイスがもらえれば、島民はこれ以上、不安で苦しい 日々を過ごさずにすむかもしれない。村議も自分の仕事を再開でき、 村役場の職員も、安心して働けるようになるに違いない。 先が見えないことには変わりがないかもしれない、 でも、存在さえ宙ぶらりんにされている島民の、今が、取り戻せるのではないか。 電話が鳴った。か細い希望は、あまりにも簡単に断たれた。 村長には、島民の幸せよりも、優先させなければならない何かがあるらしい。 全島避難1ヶ月目の、絶望。 討ち死にした仲間達は、どんな気持ちで、東京を歩いているのか。 その後、テレビ朝日のニュースステーション出演という話が 突然決まったらしい。島魂のメンバー2名がでる。 番組は、島民の側に立った作りで、うれしかった。 午前中に受けた絶望感に、完全に支配されてしまった。
10月5日(木) だるい。眠れなかったせいかもしれない。1日中、何もしたくなかった。 窓を開け放していた。けど、ベランダにもでなかった。何もする気力が起きない。 あるもので、適当に夕飯の準備はした。日中はお茶を少し飲んだだけ。 もう少しがんばれば、ラマダーンもいけるかもしれない。 1日中部屋にいると、それはそれで何とかなってしまう。 何もしないから、お腹もすかない。電気を消して、じっとしていれば、 誰かが来ても、いないことにできる。テレビも見ない。 電話だけは、しょうがないから、でたけれど。 かすんだ空しか見えない窓の外を眺めながら、 1日、この部屋に籠もっているのが一番楽だ。 外にでれば、イヤでも、世の中が見える。三宅島なんか消し飛んでも、 何も変わらない日常がある。それを感じるのが、つらい。 どこからか、キンモクセイの香りが、時々する。 去年まで、この季節は大好きだった。三宅ではあまりキンモクセイが なかったから、秘密の「キンモクセイポイント」まで行って、 季節を楽しんだ。 でも、今年は、うざったいだけだ。 季節の移り変わりを、思い知らされるのは、つらい。
10月6日(金) 今日は、夕飯にする物がない。 朝から、買い物に行かなくてはならないことを考えて、憂鬱になっていた。 別に外に出て、イヤなことがあるわけではない。 否応なしに、キンモクセイの香りはこんな高い部屋まで入ってくる。 私が部屋に籠もっていても、いなくても、何も変わらないのだけど。 島にいた頃、キンモクセイの木が、どうしても欲しくて、 何回も、何本も、植えた。キンモクセイの木は、塩に弱いのか、 嵐で、塩っぽい風が吹くと、すぐ枯れてしまった。 北東の海沿いにある我が家では、無理だったのかもしれない。 ふとテレビをつけた。変な時間にニュースの画面。 震度6?大きな地震があったらしい。 思わず、テレビの前に座る。 しばらくして、広域の震度図が出た。広い範囲でずいぶん揺れたらしい。 被害の状況が分からない。テレビに映っている薬局のお姉さんは、 笑いながら、大量に割れたドリンク剤の瓶を片づけていた。 やはり、災害直後は、つい笑ってしまうらしい。 夕方、実家から電話がかかってきた。 「あんた、お見舞いをもらっているお宅に、挨拶に行きなさい。 私も行くから。」 うひー。やだー。やだ。今日は、外に行かないって決めたんだから。 「私、具合悪いんだけど。」というと、 「何バカ言ってるの。とっとと出てきなさい。」とりつくしまなし。 ぐずぐず支度をして、ぐずぐず出かけた。団地の下まで降りて、 携帯電話を持つのを忘れて、部屋に戻った。 そのまま寝ちゃおうかと思ったけれど、後々まずいので、 やっぱり行くことにした。 訪ねたお宅は、親類の家で、子供の頃、かわいがってもらった 叔父と叔母がいる。新築のマンションは、広さがぜんぜん違うが、 窓から見える景色は、自分の部屋と似ていた。 出された団子を食べた。妙に美味しい。そういえば、今日はまだ何も 食べていなかった。食べたあと、すぐに、目の前が暗くなった。 何だか、ぷわーんとする。変だ。座っているのに、身体が空中分解するような 気がする。しばらく気を繋ぎ止めるのに必死だった。話し声も聞こえなかった。 血が全部、胃にいってしまったんだろうか。 その後、実家まで行くことにした。 実家では12年飼っている猫の具合が悪い。先日会ったときに比べ、 格段に痩せていた。様子もおかしい。どうにもならないことを承知で、 病院につれていった。獣医さんも、半ばあきらめ気味だったが、 うってくれた注射のおかげで、自力で歩き回れるようになった。 もらった栄養剤も吐かずにいられた。持ち直したようだ。 あれこれ食料を袋に詰めて、部屋に戻った。
10月7日(土) 朝7時の電話。実家の猫が死んだ。 会いに行った。元々拾い主だった妹が、泣きはらした顔をしていた。 猫は、黒々した毛艶だけ、妙によくて、そのくせ、これ以上ないほど痩せていた。 身体は硬直しているのに、しっぽだけ毛糸の紐のようにくたくただった。 ぼんやり帰ってきて、夕方までぼんやりしていた。 夕方、暗くなり始めてから、ドライブをすることにした。 なんの目標もなく、甲州街道を下り、高尾の駅でUターン。 何もせず、どこにもよらず、部屋に戻った。
先週 翌週