2000/09/04〜09/15
9月4日(月)
避難期限最後の日。
家周りの準備は終わらない。もう時間がない。
だけど、雄山のこと、次の噴火も、同じ事が起こるとは限らない。
なにやっても無駄?
報道各局からの電話が多い。協力したいのは山々なんだけど、
今日になって電話されても・・・。ごめんなさい。
船の中で宴会してやる。冷蔵庫に残った食料は、莫大。
ほとんど捨ててなければならなかった。悔しい。せつない。
いろんな思いが嵐のように渦巻く中、おいなりさんを作ってた。
なんでこんな時間のない時に、こんな事始めたのか後悔。
バスの集合時間1時間前、最後の入浴。入浴後、ボイラー周りを
コンパネで囲わなければならない。
時間がない。なんで阿古まで行くのに、12時に家を出なきゃならないの?
山のように荷物を持って、バス停に向かって歩く。
時間がない。財布が見あたらないのに、探している時間がない。
除灰作業に手が回らない村道を歩くのは時間がかかる。
最後、家を振り向くこともできなかった。
辛抱強く写真を撮り続けてくれた記者さんが、バスを止めてくれたおかげで、
なんとか乗り込む。いきなり、うちわを渡される。冷房が壊れたバス。
お風呂の効果はすっかり消えてしまった。
バスは、意味なくゆっくり走る。フェニックスの前のコンパネに
みんなの寄せ書き。読みたい、書きたい。
港につく。長い長い待ち時間。この時間で、財布が探せたな。
桟橋に動いてまた待つ。犬や猫たちがケージに入って待っている。
ああ、これだけは、本当に良かった。有珠の時にはできなかったこと、
次の災害地になった三宅では、とりあえずでも、置いてけぼりにしなくてすんだ。
バスを降りて乗船。後ろに猫が10匹近く入っているケージを
手伝ってもらいながら運ぶ人がいて、びっくり。
しかも猫以外の荷物はほとんどなし。ああ、でも良かったね。
この人にとっては、猫たちが一番大切。
それに比べて私は、船の中で飲み食いするもので大荷物。ま、いっか。
船の中で、Fデッキを占領。後から、利八屋さんと神和さんグループも来る。
いったん座った後、みんな甲板から雄山を見に行くという。
でも、友人は、「いつもと違う事すると、帰って来れなくなりそう。
見納めみたいなことするのイヤだ。」と言う。私も何となく、それに同調。
写真は前日3日三池発のすとれちあからもの
Fデッキは、なんだか、照明も薄っ暗くて、壁紙は変な模様だし、
怪しいムードで、宴会にはいいかも。船に乗っているであろう人を集め、
店をひろげたが、ものすごく揺れる。みんなそれぞれ、動き回っていて、
あんまり人も集まらない。気持ち悪くなって寝る。
そういえば、ずっと睡眠不足だった。
!!ウトウトしたときに、突然思い出した。
冷蔵庫の野菜室に、グレープフルーツと、キャベツが入ったままだ。
鳥の餌にするために外に出すのを忘れた。
うわー。再会が怖い。
東京湾に入って、揺れが少しやむ。
メンバーを集め宴会再会。大揺れの気持ちを紛らわすよう、はしゃいでみる。
もしも、誰かが一度黙ってしまったら、みんな、泣き出してしまうだろう。
長い長い船の時間。
はしゃぎ疲れた頃、ようやく竹芝桟橋到着。
いつものような、東京に帰ってきたときのうれしさはない。
景色が視界を滑っていく感じ。絶望感。
知らない内に弁当を手渡されていた。
今晩泊まる、さるびあ丸への移動中、懐かしい声と温かい手に捕まる。
利八屋のおばあちゃんだ。島でのおしゃべりが頭の中を駆けめぐる。
最後に会ったのは、灰下ろしに疲れて、休んでいる所に私が行ったとき。
かき氷を半分分けてもらいながら、「大丈夫、もうちょっとがんばろう」
って話した。ごめんなさい、ぜんぜん大丈夫じゃなかったね。
がんばりたくても、がんばれなかった。最後は灰下ろしもできずに
出てきてしまったんだよ。
それから、譲ってもらった、ぬかみそを持ち出せなかった。
70年以上たった、大事なぬか床だったのに、種になる分さえ、
持ってこられなかった。情けない。本当に申し訳ない。
だけど、なにより、おばあちゃんが元気そうだったのと、
会えたことのうれしさで、涙が出た。
おばあちゃんの掌の暖かさで、少しだけ、がんばる気持ちが出た。
その後すぐに、テレビ局の記者のインタビューを受ける。
なんだかもう、なにを聞かれているんだか、わからない。
この先のことなんか、今聞かれたって、わからない。
私が決められることじゃないんだってば。
さるびあ丸に入る。
なんだ?これは?三宅八丈航路の船とはえらい違い。
レストランにはチョコレートパフェもあるらしい。
じゅうたんはふわふわ。でも私が行った所は、なぜか少し濡れていて、
テレビは壊れてた。でも、どうでもいいや。
びっくりしたのは、お風呂を使わせて貰えると放送が入ったこと。
従業員用のお風呂なのだろう。船の案内図にはない。
うれしかった。島で蒸し風呂のようなバスを降りたとき、灰が降っていたから。
髪をすすぐと、洗面器に灰がたまった。
「次は、いつお風呂に入れるかわからない。」と、おびえ、
「今日も無事風呂に入れた、でも明日は・・・」と
執拗に髪や身体を洗う日々が、ここで、終わった。
配られたお弁当をいただく。なんだか味がわからない。
清潔そうな、ふわふわの毛布にくるまり、寝ることにする。
9月5日(火)
起床後、あさご飯を上のデッキに取りに行き、食事。
バスの号車と、何かの番号がふられた名簿が張り出されていて、
それの確認をする。
食事後、バスの号車ごとに出発の点呼がかかる。
船を出る時間が少し早まった。外は雨。
バスにのったら、1名どうも足りないらしい。
どこに行ってしまったのやら。バスは遅れて出発した。
代々木青少年オリンピックセンターに到着後、オリエンテーション。
なにやら、今日は停電するというらしい。
昼食が用意されていた。おいしい。なんだかものすごくおいしかった。
お腹がすいているわけではなかったのに。
いろいろな説明と手続きを済ませ、割り振られた部屋へ。
ここで信じられないことに気がつく。
「村」が行った部屋割りは、なんと、全くの赤の他人の同年代の男女相部屋。
しかも部屋には、全く間仕切りがなく、着替えることは不可能。
東海汽船の船室のようにある程度広ければ何とかなるが、
他人の女同士でも、疲労度が極限に来ている人間にとっては、
いられる場所ではない。それがなんで知らない男の人と相部屋?
家族だったらいいよ、文句は言わない。
いまどき、犬や猫でも雄雌一緒にしておくか?
あんたら、同じ村の人間、犬猫以下の扱いにして、要所だけは2人部屋。
全員そうなら、いいんだけどね。要所要所が2人部屋。
自分らに影響なさそうな人は、犬猫以下・・・。
今までも、そんな気持ちで仕事してきたんですか?
どうしても我慢できないので、空いている部屋を確認して、村役場の人間に
相談する、と、あっさり空き部屋の鍵を渡してくれた。
なんだ、怒ることなかった。
と、部屋に入ってしばらくしたところで、
ドアをノックする音。役場の服を着た女性職員が立っていて、
隣の人の部屋の荷物を預かれと言う。荷物が何だかわからなかったことと、
隣の部屋の人を知らないので、断ると、
「あんた、いったい何でここの部屋に入っているのさ?」
「みんな4人で入ってるのよ。出なさいよ!」
「私なんか、こんな、関係ない人の荷物押しつけられて、
3回もここに来てるのよ。」
訳の分からない言葉の暴力に切れた。
こちらの経緯を話す。それで2人部屋、4人部屋への振り分けの理由を聞く。
こちらが怒りの態度を見せると、引っ込む。よくこんな鬼ババァが保母なんか
やってるな。よくみんな平気で子供を預けるなぁ。子供いなくてよかった。
本当は、三宅の保母さんは、本当に立派な保母さんばかりなのに。
あなた1人のせいで、三宅の保母職員全体が悪く思われてしまうんだよ、
こいつは、その後も、所内で会うたびにガンを飛ばす。
そういうの、東京じゃ通用しないんだよ。早く目覚ましなさい。
みんな、本当に疲れている。だけど、お給料をもらっている役場の職員が、
これじゃダメ。小さな子供がいる人もいるんだから、正常な感覚がない人は、
休むなり辞めるなり、しなくちゃダメ。
その後、広いお風呂に入って、夕食。
前日から泊まっている人もいるので、人を捜して、話をすることに必死。
新聞が読めて幸せ。物がたくさんある。
マッサージをしてもらえた。私は、こんなに体が固まっていたのか、と驚いた。
腕から手に向かって、ザーッと血が流れはじめた感じがした。
体が別人のようになった。早く眠りたい、としか思っていなかったが、
終わった後、そのまま遊びに行けそうな気がした。
昼間、窓から見えた風景は、忘れかけた島の緑に近かった。
緑の木々に降る雨。止み間に響く蝉の声。
雷が鳴り、また大粒の雨。
水たまりが広がっていくのを、ただ眺めていられることの幸せ。
日がすっかり落ちれば、島で聞けなくなった、虫の声がする。
三宅に今年、鈴虫の鳴く声はするのだろうか?
そういえば、29日以来続いていた原因不明の頭痛と下痢が止まった。
9月6日(水)
起床後すぐに、知っている顔探し。
朝ご飯にも早めに行ったつもりだったが、遅かったみたい。
午前中、新宿駅までバスが出るとのことで、それに乗せてもらって、
腕時計の電池交換へ。その後、暇なので、献血センターに行ってみる。
私自身、体の調子は、どちらかというと良い方で、比重検査のビーカーに
落とされた血滴も3つ共、快調に落下。
しかし、データの住所欄を見た看護婦さんが,ちょっと席を外した後、
「成分が足りないので、今回は・・・。」といわれ、×。
新宿から、歩いて帰る。無謀だった。疲れきった。参宮橋の郵便局を確認。
オリンピックセンターの入り口がどこにあるのかわからない。
教えてもらってわかったけれど、遙か彼方。でも入り口に入っても、
みんながいるところには、なかなかたどり着けなかった。
昼食後、センター内のドクターに診てもらうことにする。
内容は、29日以降の体調の変化と、今日の献血所での出来事を話して、
検査をした方が良いのかどうかを問うもの。
保健婦さん達は親切で、真剣に話を聞いてくれた。
自分のことのように心配してくれている。
なのに、ドクターは、面倒くさそう。「一酸化炭素以外、意味ないよ。」
と言われた。ふーん。
その後、センター内をウロウロ。文字通り、ウロウロ歩き回る。
放送で、「住宅の決まった人は出ていって。」という内容が
アナウンスされたので、自分たちも準備をする。
ここは天国だった。もしかしたら、私たちみんな噴火で死んじゃっていて、
「東京でがんばるぞ」なんて言いながら、天国で、安らかで楽しい時間を
過ごしているのではないか?と思ってしまったぐらい。
でも、この世の天国には、やっぱりあんまり長くられないんだね。
センターからも、昨日までいた顔が、いつの間にか消えている。
食堂で、ビアガーデンが開かれた。みな、本当にうれしそう。
その夜、ちょっとした事件。朝、「10時から三宅の状況のビデオが流れます。」
という放送が入ったため、10時前になると、本部前の大きなテレビの前に
黒山の人だかり。でも10時になったら、画面がブツッと言って切れちゃった。
いくら待っても誰も来ないし、何もはじまらない。
変だな、と思ったら、職員が来て、「10時、というのは、朝の10時なんです。」
というお話。なに集まっているんだか、不審だったでしょうね。
みんな、とてもがっかりして部屋に戻りました。
大きな気持ちのよいお風呂とも、お別れ。本当にありがとう。
部屋をかたずけ、就寝。
9月7日(木)
思い切り早く起きて、島から持ってきた地図を持ち、食堂へ。
みんな部屋が決まりはじめた。気がつくのが遅かったけれど、
昨日の晩から、わかっている人は、地図で場所を探してもらって、
名前を書き込んでもらっている。
でも、今日はもう、ほとんど人がいなかった。
私たちも今日出ます、と挨拶すると、元気でね。会おうね。と。
携帯の番号を交換するのも必死。私たちは、入居数がとても少ない、
多摩ニュータウンでも村山でも、北区でもない団地に入ります。
寂しいです。会いたいけれど、離れてしまったら、そうはいかないこと
わかっている。どうして、多摩ニュータウンに希望を出したのに、
村はわざわざ違う所にしたんだろう?都に希望を出し直しなよ、ってみんなに
言われた。村に希望を出した人は、なぜか希望と正反対の所に入れられてるとか。
それなら、家は、まだ良い方だから。
まだ、家の決まらない知り合いがいる。
ご主人の仕事が浜松町だから、自分が決められないということで、
手続きもできないまま。すがるような、涙目。
心が張り裂けそう。がんばってなんて言えないよ。
1人でどんなに不安なのか。なんで、こんなひどい事が起きてしまうの?
センターでの最後の食事。最後まで、本当においしかった。
自分もお客さんに3食だす仕事をしていたから、本当に勉強になりました。
天国を出て、現実社会の郵便局へ。
小包はしっかり有料だった。
それなら、この期に及んで大きな救急箱を与えないでください・・・。
八王子に着き、鍵を受け取る。
窓口の人は、ものすごく丁寧で、心から心配してくれている。
私たち、おちゃらけた避難民でごめんなさい。
まだ、なにが大変だったのか、大変なのか、わからないんです。
団地に向かう途中、電話が入る。4時半に、部屋にお伺いするので、
お待ちください、とのこと。
団地は、静まり返っていて、人の気配がない。団地には付き物だと思っていた
商店街もない。部屋は9階。玄関外の廊下からは、大きな川と河原が見える。
部屋に入ると、真新しい畳には、紙が敷かれ、いい匂いがしていた。
思ったより、ダイニングが広い。そして、部屋の1つには、なぜかエアコン。
デフォルトでエアコンがついている団地らしい。キッチンもずいぶん広い。
何となく横になってしまった。が、間もなく、八王子市の職員が来た。
キビキビして、こっちまで元気になりそうな人たち。
汗だくで、荷物を運ぶ運ぶ。そして、びっくり、テレビをつないで、
「リモコン効かないかもしれませんが、都のテレビがくるまで、
これをお使いください。」
でも、一番泣きそうになったのは、テレホンカードを渡しながらの、
「近くにカード電話がないのに、申し訳ないのですが。」という、
本当に相手を思いやったときにしか出ないであろう、暖かい言葉。
近くに電話なんかなくったって、お二人の言葉と動きだけで、
十分心が満たされました。
ふかふかで座ったら跳ね返っちゃいそうな座布団と、トイレットペーパー。
毛布。缶詰セット。それから、「自転車はいりますか?」
物も助かった。都の物資がくるのは明日以降だから。
でも、一番うれしかったのは、職員のお2人の態度と言葉、配慮。
新しい畳と、窓からはいる風、すごい座布団とトイレットペーパーがあるので、
もう、ここで眠れるけれど、今夜は実家に帰る約束。
明日は、荷物の搬入で、かなりうるさくすると思うので、お隣と真下、
自治会長さん宅に、とりあえずのご挨拶を済ませる。
9月8日(金)
今日は、荷物がくるので、早くから部屋で待機。
妹の旦那が掃除を手伝ってくれるとのことで、大掃除をしながら待つ。
部屋は全体的にきれいなものの、以前に住んでいた人が、
ヘビースモーカーだったのだろう。ヤニが落ちると本当の色が出てきた。
特にトイレがひどかった。
まず、冷蔵庫、食器などが来た。が、その後、なにも来ない。
やることもなくなってしまった。4時過ぎまで待ったあと、
多摩ニュータウンに探検に行くことにする。
私は八王子の土地勘があるので、自信があったものの、
当初、南大沢団地を目指したのに、別所団地に迷い込んでしまった。
そして、ぐるぐる走って、携帯電話で友人に連絡を取ると、
偶然近くらしい。そして、外に出てきたところで会えて、おじゃますることに。
棟の前に、電気屋さんとガス屋さんがいた。ここに引っかかっているんじゃ、
家には来られないよね。
別所団地は、何だか古いみたい。しかも不思議なことに、エレベーターは
4階までしかなく、5階から6階は歩かなければならない。
部屋は家よりも1部屋多い。やっぱり全体的に広いかな。
夕方なので早々にお暇したが、次、ちゃんと来られる自信なし。
9月9日(土)&9月10日(日)
何だか熱っぽい。そういえば・・・天国オリンピックセンターは、
異様に冷房が効いていて、寒かったっけ。
部屋を片づけようとしてもはかどらない。
日曜日になると、熱は38度までに。
午後、買い物などに出る。リサイクルショップにて、560円で
コーヒーメーカーをゲット。これでお客様が来てもコーヒーが出せる。
渋滞がひどい。あ、そういえば、週末なんだ・・・
9月の週末。いつもだったら、座る時間もほとんどない。
去年まで、眠りたいとばかり考えていた。
全島避難が決まってから、10日経った・・・。私は何をやっているんだろう。
自分が生きているという実感がない。
9月11日(月)
引き続き調子悪し。
気になっていた駐車場の件は、
「駐車場に空きがある間だけ。」という特別の計らいでOKに。
助かった。車があれば、南大沢や別所に気軽に行ける。
ベランダから外を見る。中庭を歩く人があんなに小さい。
前の山の向こうが南大沢か・・・。
南大沢のどんな高層住宅でも、海は見えないね。
でも、私にとっては、西に見える山が、何だか懐かしい。
キューピー山は今もぜんぜん形が変わってないね。
って当たり前か。
夜、某新聞社の勧誘員が来る。
のんきな主人は、洗剤とビールにつられて、契約しようとする。
あんたバカじゃないの?私たち、収入がないんだよ。
何考えているの?新聞なんか取る余裕がどこにあるの?
身の程知らず。
その後、以前、お客さんでよく来てくださったご夫婦が来訪してくれた。
うれしかった。いろいろ緊急に使う物も持ってきてくれた。
9月12日(火)
10万円の融資金を受け取りに、八王子市の南大沢事務所へ。
南大沢のビルに入って、福祉センターに入ってその広さと設備の充実に驚く。
事務所内には、ボランティアの募集や、ちょっとしたお手伝いの、
やります/やってくださいの張り紙があって、
お年寄りや障害者へのお手伝いがスムーズに行われていそう。
ボランティアというものが、システマティックに動いていることが
すごいと思った。
ここには、三宅島の人が集まっておしゃべりができる集会所が用意されている。
で、集会所だと思って入ってみたら、何だか旅館の1室のような立派な部屋。
「どうぞ、どうぞ」と勧められたけれど、びっくりして出てきてしまった。
誰もいなかったのが残念。
他の部屋から、楽しそうな歌声や音楽が聞こえる。
誰が歌っているんだろう?そういえば、音楽を久しく聴いていない。
その後、立川の商工会の事務所へ。
私は具合が悪かったため、車の中で寝ていることにする。
立川の商工会には、あちこちに行ってしまった島の人が集まる。
商工関係なので、よく見知った顔が訪れるのだろう。
仕事は難しそうだけど、みんなに会えるのがうらやましい。
9月13日(水)
朝、実家に行く。預けている猫にあう。島にいた頃より、確実に太ってる。
私の方も、ようやく熱っぽさが抜けてきた。
でも、まだ怠さは抜けない。
ここのところ、欲しいもの、必要なものを、メモに書いては消し、
書いては消し、を繰り返している。先日買ったコーヒーメーカー、
次の日に、せっかくお客さんが来たのに、コーヒー自体がなかったので、
出せなかった。だから、コーヒー豆は絶対。都から支給された急須があるが、
お茶っぱはもう少し後。まだ暑くて。
暑いといえば、都からの電化製品って、帰るとき、返すのかな。
返さなくてもいいんだったら、どこかに扇風機を売って、
そのお金で、お茶っぱとお米を買いたい。扇風機は、箱に入ったままで新品だぞ。
ん、でも、どうせなら、掃除機と交換してもらおうかなぁ。
音がうるさいから、こういう団地では、掃除機は使っちゃいけないのかな?
でも、布団を叩いちゃいけないぐらいだから、ほうきで掃き出すなんて
もってのほかのはず。うーーん。
電化製品については、思うのは、これって、きっと主婦が選んだんじゃないな、
って事。冷蔵庫と炊飯器の小ささでわかる。家族全員1日中家に家にいて
3食食べるとしたら、この冷蔵庫だと、毎日買い物に行かなきゃならない。
安いときに余分に買っておけない。
このセットだと、たぶん、朝ご飯もそこそこに会社に出かけていって、
昼は、安くておいしいものが出る社員食堂があって、そこで栄養と野菜補給して、
夜は外食と家に帰るのが半々な、恵まれたエリートサラリーマン一人暮らしって
感じ?
と、ここまで考えて気がついたんだけど、もしかして、
私が大食いなだけかもしれない。
9月14日(木)
主人は今後の資金繰りの相談のため、会計士さんの所にいく。
こんな状態で、相談、って言われて、さぞかし困るだろう。
夜遅くなるそう。
掃除をする。1部屋だけ、物が整理しきれないで積まれた状態のまま。
ため息が出る。
実家から電話。留守番の旨伝えると、「夕飯を」という。
ありがたい。今だけの特権だ。ついでに余って無駄にしている食べ物を
まとめてもらってこよう。
全島避難は絶対しない、といっていたのに、1晩明けたら、全島避難、
といわれた日から半月が経つ。あのとき、大量の食べ物を捨てた。
本当にたくさん。まだまだ食べられる物ばっかりを。鳥の餌になるように、
果物や野菜はできるだけ木の枝に刺した。他の物も、全部まき散らした。
この際、命あるモノに供されるなら、それがカラスでもイタチでもハエでも
なんでもよかった。火砕流が通った土地には、命が動く様子が消えた。
銀色のボールの底にいるような風景。絶命という絵。
でも、最後に、アシタバの花が咲いた。がんばる命があった。
それを見て、ゴミとして燃やすよりも、ばらまくことを選んだ。
食べ物をまき散らすと、絵の具が飛び散ったようだった。
あれから10日経った。でも、食べ物を無駄に捨てたという痛みは消えない。
野菜や肉、魚などの、すぐに食べられない物を買えずにいる。
1食ごとのお弁当のようなものなら、無駄にすることがない。
調理しないといけない食品は、2人しかいない今、無駄が出るかもしれない、
と思うと、どうしても買えない。
9月15日(金)
今日は敬老の日。ちまたでは3連休。曜日の感覚はもはや無し。
ざっと掃除を済ませた後、来客。友人が来てくれた。
村のことや生活のことなど話す。
ここで、ようやくコーヒーメーカーの出番がやってきた。
しかし、コーヒーができたときに気がついた。
家には、コーヒーカップとスプーン、砂糖、クリームがない。
げーー。すみません、湯飲みで飲んでください。
午後、町田の都営に入っている友人をみんなで訪ねる。
うわー、広い。それに、なんで避難民がそんなに立派なラタンのいすに
座ってるんだ?床に敷いてあるラグ。どうなっちゃってるの?
訳を聞いたら、団地のみなさんが用意してくれた、という。
よかったねぇ。
私は、ここでの話の輪から早々に抜けて、ここに住んでいるハンサムボーイと
一緒に過ごす。私は彼が大好き。彼も今は、私のこと好きでいてくれてるかな?
10年も経ってしまったら、一緒に遊んでくれないだろうな。
彼とお店やさんごっこをする。お客さんになると、彼は魚を釣りに行って、
お刺身を作ってくれる。お醤油が少なくなると、ちゃんとつぎ足してくれる。
わさびも用意してくれてある。立派な民宿の親父だ。
釣れる魚は、メジナ。大きくても小さくても長くても太っていても、全部メジナ。
絶対にハマチやマグロはない。
お野菜はアシタバ。ほうれん草やレタスじゃない。
「ハイ、メジナのお刺身」「ハイ、まだたくさんありますからね」
涙が出た。帰りたい。メジナが食べ放題の三宅に帰りたい。
噴火前に上京したとき、国分寺の丸井でメジナを売っていた。
ラップできれいに包まれて、金色のシールを貼られてた。
値札の数字が1桁違った。あれは、私たちのメジナじゃない。
雄山よ、どうか、この子の記憶からメジナやアシタバが消えてしまう前に、
もう一度、私たちを受け入れて。
私と彼のハッピーデートの時間はあっという間に過ぎ、
「帰るぞ」、の声。バイバイ。風邪ひかないで、元気でね。
がんばって、お友達、たくさん作ってね。
翌週