1.すとれちあ丸

すとれちあ丸は、三宅島を経由し、八丈島まで行く、貨客定期連絡船である。
ニュースでは、まるで三宅島専用の連絡船のように伝えられるが、実は単なる中継地。
北海道で、ニュースに耳をダンボにしていたはずの自分でも、
この事実にまったく気づいていなかった。

というより、連絡船自体を勘違いしていた向きもある。
自分が住む室蘭は、一応港町で、フェリー航路も乗り入れている。
普段見慣れているフェリーは、室蘭〜八戸間や、室蘭〜直江津間を結ぶフェリーで、
すとれちあ丸も、これらのフェリーと同じようなものだと思っていた。

が、桟橋から見たすとれちあの小ささに、あっけにとられ、そして怖いと思った。
しかも、客船ではなく、前後に貨物を積んだ貨客兼用船である。
大丈夫だろうか。と思った。
接岸時や、接岸前に29日のような火砕流に巻き込まれたら、それこそ全滅ではないか。

だから、1日の竹芝桟橋で船を待っているとき、異様な光景に寒気すら覚えた。
三宅に行く人と、八丈に行く人とでは、まったく様相が異なるのである。
手にサーフボードらしいものや、大きなバックを持って乗る若者がいる。
それと同じ列にヘルメットを持ち、手荷物は最小限度の老人がいる。
行き先がまったく違うことは一目瞭然。
一方は、これから心の洗濯へ。もう一方は、死地に赴くような顔つき。

双方とも、三宅島に着く事には代わりがない。
接岸中に巻き込まれたら。双方とも消えてなくなる。
八丈に向かう人は、そういった危険を認識しているのだろうか?
三宅に向かう人は、もちろんそういった危険を知ってのはずだ。
1日は、正午に全島避難を呼びかける決定がされていたこともあり、事態はいわずものがなである。
これほどにまで違う顔つきの人間が、一隻の船に乗る姿というのは実に異様。怪奇に見えた。


しかし、どうもすとれちあのこととなると、やはり「帰り」に集約される。

さほど大きくは無い波止場。
乗船券を買い求め、ロビーの周りを少しぶらついた。
ロビー下の駐車場と思われるスペースに、ケージに入れられたお犬サマ。
なぜかハムスター。猫。の姿。
飼い主と別れて鳴いているのもいる。静かに、じっと待っているものもいる。
彼らも、島を離れる住民達。

商工会で、先ほど撮った写真をアップしようとして悪戦苦闘し、乗船は、ほとんどギリギリになった。
そこで、商工会でちょっと話をした、三宅村の教育委員会の若い人と会うことができた。
やっぱり残る組になった。と、明るく努めて言う。

「危ないと思ったら、逃げれ」
「そーだねー」
言って後悔。どこに逃げるというのだ。周りは海なのだ。
「いつか、戻れるから。必ずその日は来るから。絶対来るから。」
「はは。。」
「その日が来たら、絶対来る。灰掃除しに来るから」

彼と別れ、列は前にすすむ。
老人の荷物を持って歩く警察官。
並んで列を見送る警察官・消防士・役場の職員。その中を縫って、乗船。
船首の下層にある娯楽室に荷物をおき、ニュースで見た最敬礼の写真を撮るために舷側に上がった。
舷側から手を振る人たち。岸壁から手を振る見送りの人たち。

銅鑼が鳴る。

バウスラスターで、ゆっくりと船が岸壁から離れる。
舷側から手が大きく振られる。声は、あまりかからない。無言で手を振る。

上のデッキからおばさんが叫ぶ「後を頼みますー」

答えるかのように力強く振られる、地元の警察官であろう人の手。
それを見たとき、ふと前日のことを思い出した。
前日、避難の呼びかけの翌日だが、大久保浜で、船に乗る人のためのお迎えのバスと遭遇した。
島を離れようと決め、家を掃除し、網を片付け、綺麗にして。万が一のために、家の前に土嚢を積んで。
バスを待つ人たちは、身奇麗な格好で、これから旅行にでも行くような姿でバスを待っていた。
不安だったろう。住み慣れた場所を離れることは、身を切るほどの辛さがあるだろう。
その人達と、笑いながら何かを話し、バスに乗るのを見送っていた警察官。

家を、畑を、海を、船を。思い出を残して去らねばならない者たち。
死地といってもいいような場所に残る者たち。

岸壁から船が完全に離れたとき、並んで見送る警察官と、消防士が最敬礼して見送る
それはパフォーマンスであったかもしれない。
でも、不本意ながら島を去らねばならない人たちにとって、彼らの存在はなにより支えになったはずだ。

不覚にも、涙を禁じえなかった。


岸壁を離れ、船は旋回して島の東側を北上していく。
Aデッキ(一番上の展望デッキ)に人が集まる。
左舷に見える島を眺める人たちの中、
古ぼけた皮のケースに収まった、年代物のカメラを取り出して、島を写す老人がいた。
揺れる船の上、マニュアル操作のあのカメラで、島はきちんと写っただろうか。

デッキから降りると、足の踏み場も無い廊下。
荷物、そして船室に入れなかった人が、ござを敷いて座る。
眠るのも何なので、船内をふらふらと歩いてみた。
「あたしさあ、昨日旦那に泣いてすがったさあ。最後までいようって」
「わちもねえ。本当は明日にしたかったんだあ」
明日の、本当に最後の日まで残りたかったのだという。できるなら、ずっと島にいたかったのだろう。
水密扉の前、通常は荷物置き場のところに、ペットのケージ。
券売り場の下にいた若犬が乗っていた。静かにじっと座って。カメラを向けると、こちらをじっと見つめた。
娯楽室には、ハムスターのプラスチックケージを持って乗った人がいた。
周りの人が、ハムスターを見て、こーいうのも、結構なごむねえ。しみじみ語る。

やがて東京湾。そして竹芝桟橋に船が接岸する。
船内からも、桟橋に集まったマスコミ・搬送の救急車・警察官・消防士の姿が見える。
別れのときが来る。
近所だったのだろうか?それとも仲のいい同士だったのか。
「落ち着いたら、住所教えて」
「また会おう」
そう言った声が聞こえる。

さよなら、という声は、なかった。
また会おう。またね。それじゃ。そういう声ばかりだった。

そして、下船。

渡し板から、ゲートに向かう人の列。
島で共に暮らしてきた人が、東京という広い海の中に点在する島のような都営住宅や、知り合いに身を寄せていく。
いままで航路を共にしてきた人達が、ここで別れていく。

彼らに、幸あれ。そう願わずにいられない。
悲しみ、苦しみの中にも、人はきっと何かを見つける。
有珠の初めも、絶望があった。でも、うすこいで子どもと接し、うすゆめで子どもの笑い顔を見た。
三宅にも、必ずそういう日が来る。
災いで受けた心の傷は消えることはないだろうが、新しい思い出と共に、傷はやがて癒えていく。
そう信じている。

帰島が決まったら。そういうニュースが出たら、絶対に三宅島に行く。灰掃除をするために。

後藤基継@室蘭