一時帰島の報告〜清漁水産〜

4月8日 21時頃竹芝到着。
21:30頃から受付に並んで切符を手に入れたのは22時15分ころでした。
出発時刻の15分前までに来るようにと書いてありましたが、早めに受付を
済ませておくことをお勧めします。
船内では久し振りに会う人たちとの話が弾み、ついつい遅くまで起きていることに
なってしまい睡眠不足になってしまいました。

4月9日 5:30頃三池港入港下船。 
入港前から少しずつ降り出した雨が下船時には大雨となってしまい、
びしょぬれになりながらバスへ乗りこみ島内での移動の方法や注意事項の確認を
して出発です。
三池浜を越えたあたりから雨もあがり、曇った窓をふきながら自分の目で
島内の状況確認。
三池地区のガスによる影響は大変なものだと思いました。
サタドウ灯台付近から硫黄の匂いがして、車内から見える空気の色が青色
に変色し、ガスの中を走っていることがはっきりと分かりました。
量が少なかったのか、幸い「くさいねー!」という程度で通過。
噴火山の直線に来るまでに3箇所の泥流個所を見ながら通過し、驚いたのは
火の山峠の方から流れてくる水の量の多さです。
下船時に降った、たったアレだけの雨にしては驚くほどの水量となっていて
帰島後の生活に脅威を抱かせるには充分だったと思います。
(梅雨時の大雨にはちょっと怖い感じです)

6時10分頃 下車。バス停でポリタンク入りの水をもらい自宅到着 
8月29日の火砕流の灰をそのままにして避難した我が家の庭は、まだまだ大量の
灰に被われたままなので玄関前のちょっとした窪地に水が溜まりぐちゃぐちゃの
状態でした。
持参したおにぎりで簡単に朝食を済ませ、自宅の箪笥から作業着を引っ張り出し
長靴をはいて作業開始。雨戸を開け空気の入れ替え兼明り取り。
女房は片付けや送る荷物の準備、自分は今度こそ冷凍庫の確認を、と、二手に分かれ
ての作業です。
サッシを開け冷凍庫の扉のカギをはずし開けてみると、いきなり目がちかちかして
魚が腐った臭いで一瞬息が止まってしまいました。
想像していた事とはいえ、体中の力が抜け気力が萎えていくには充分な光景でした。
たてやの外で大きく深呼吸をし息を止めて冷凍庫内へ突入し一息の間に
庫内の状況確認、苦しくなると外に飛び出して深呼吸、、、。この繰り返しです。
冷凍庫の室内機は完全に使い物になりません。電磁弁から庫外へ繋がっているはずの
銅管はとうに錆び落ちてしまい、残った銅管は緑青で青光りしていました。
たてやの奥にあるコンプレッサーは見に行くことができませんでした。
冷凍庫のドアを開ける前に行かなかったことを後悔しています。
庫内の臭いとガス(?)があんなに激しいものだとは思っても見なかった。(反省)

青むろ 2トン シーラ 1トン 
自分の背丈ほどに積み上げて置いたこの魚たちは、わずか3分の1ほどにまで
潰れて膝のあたりの高さまでしか無く、庫内の床は腐った汁でどろどろでした。

それぞれの作業を終え、着替えのタメに裸になり居間のソファーで寝転んで一服。
「おーい、テレビつけてよ!!」冗談で女房に呼びかけてみる。
避難前となんら違和感の無いこの感覚。
(帰りの船が沈んでしまってこのまま東京に戻れなければいいのに、、、)

11:50 離島のタメのバスの時間
実質5時間40分。終わってしまうと短い時間の我が家との再会。
伊豆、伊ヶ谷、阿古地区を経由して三池港まで。
「えー!こんな所まで、、、、!」そう思うほど、あちらこちらの沢や橋がかけなお

れたり泥流の後が沢山あったり。
あそこの橋とあの人の家、自分の目にしっかりと刻んできたつもりでも
「すごいことになってるな!」とか「あ、大丈夫だ!」とかそんな程度にしか記憶で
きません。
圧巻は たつね でした。
2000年9月5日の雨で泥流が発生し、当時消防団員として島に残っていたにもか
かわらず状況を見にいくこ事のできなかったところ。
仮橋は今までの都道より海側にせり出して、渡ることも怖いくらいな感じでした。
山側は大きくえぐれてそそりたつがけになり、海側は泥流に流され削られて広く
太い沢筋ができていました。

村役場に近づくとかすかに硫黄の臭いがしてきます。
窓越しに見ると朝見たのと同じ青い空気の固まりがありました。
朝の南西の風が西南西から西の風に変わったために役場から三池港に火山ガスが
流れてきたために役場前で一時待機、三池港のガス濃度検知の結果を待ったところ
1ppmということでガスマスク無しで三池港から乗船。
家で食べることのできなかった昼食を船のデッキで島を見ながら食べ様と思い
デッキに出たところガスの濃度が高くなり10分もいられる状況では無く、泣く泣く断
念しました。

感想
島内を一周してくれたことで島内の様子を自分の目で確認することができた
ことは大変良かったと思います。
反面、在宅時間を長くしてもらった方が良い、という意見もあるそうですので
今後の帰宅に付いてはこの辺の希望も加味したバスの運行も考えてもらったら
良いと思います。

子供の同伴も認めてほしいと思いました。
中学生以上の子供たちは親の責任で連れていっても良いのでは無いかと思います。
帰島後に自分たちが住む島の現状を見せておく必要を感じます。
子供たちだけ集めて連れて行こうという企画も検討中だとの話も聞きましたが
親が行く時に親の責任で連れていくことの方が良い安全なのではないでしょうか。

出発日を土曜日にしてもらえないものでしょうか?
仕事を休んでいかなければならないのは大変につらいものが有ります。
有給の有る人は良いとしてもそうでない人にとっては東京で暮らす収入にも
直接かかってくるのでは無いかと思いました。
この辺の検討もお願いしたいと思います。

滞在時間はやはり短かったというのが本心です。
一泊したいところですが、船内もう一泊を覚悟で帰りの船の出港を夕方に
できないものかと思いました。



野鳥の声がやかましいほどに聞えました。
噴火中の鳥の声の記憶はありませんが今回の帰島で
感じたことの一つに、野鳥は噴火前の状況まで復活しているんじゃないか?
そのことでした。
29日の火砕流の際に折れてしまった木々は元には戻らないだろうけど
緑も確実に復活しつつあるように感じることができました。


島魂2002 http://miyakejima.net
Toshiyuki Aoyama